Subject:
詩篇47篇 黙示録と詩篇
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/08/26 12:25
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

黙示録の中でキリストが王様であるというところ見ました。

 ■黙示録1章:

ここで、キリストが王であるだけではなく、すべての王の上にたたれる、王の王であることがわかります。私たちの王様である神様は、私たちに恵みを与えられます。 そして、王様として神様の栄光を表されます。旧約聖書の中では、神様が王であられるという言い方が繰り返されました。しかし、新約聖書の中ではキリストが中心となっています。また、王である神様は私たちを、ご自分の王国としてくださいます。この箇所では、王様であるキリストが私たちを愛してくださっている、ということも強調されています。この神様が会いしてくださるという話は、詩篇47篇の4節にある”主の愛するヤコブ”というところと似ています。

■黙示録4章:

ここの箇所には王様であるキリストについて、とてもぐたいてきに書かれています。この王様の王座は、天にあるもので、この王座の周りには宝石のように見える虹があるという事も書いてあります。そして、この王座の他に周りに二十四の座があります。御座の前はガラスの海のようであり、ここには、四つの生き物もいます。彼らは、王様を賛美するものとしてそこにいました。また、二十四の座に座っている、二十四の長老たちも御前にひれ伏して、王様を礼拝しました。この王様が座っておられる御座というのは、詩篇47篇の8節にでてくる”聖なる座”のことです。また、詩篇47篇の10節にあるとおり、神様は大いに崇められる方ということが、黙示録のこの箇所で実現しています。

■黙示録19章:

この黙示録19章という箇所は、賛美の詩篇のような箇所です。この賛美の中で、”主は王となられた”ということを賛美するものがあります。それは、6-8節です。神様は王様という言い方だけではなく、万物の支配者であるという言い方でも呼ばれています。この賛美の後の11節では、王様が白い馬に乗ってこられ、義をもってさばき戦われるという事が書かれています。詩篇47篇にもあるとおりに、すべての王国を統べおさめられるという事は、義をもってさばきをされるという事です。私たちは、この王様がやる事だけではなく、洋服などにも注目しなければいけません。この王様は、血に染まった衣を着て、鋭い剣と杖をもって来られます。この剣と杖は諸国の民を打つためと民を牧するためのものです。この方の着物にも、ももにも”王の王、主の主”という事が書かれていますが、これは、この王様の名です。また、この”王の王、主の主”ということこそ、詩篇47篇や黙示録の王様についての大切なポイントです。

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