Subject: 神の都が神の教会である、右の手がさばきであるということについて直接書かれている聖書箇所 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2004/09/02 20:45 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 私たちは神の都が新約聖書では神の教会になっているということはわかっている。 また、神の右の手がさばきをあらわしていることもわかっている。 しかし、人にそれがどの聖書箇所からわかるのかといわれたとき、 私たちはそれをよく知っておかなければそれに答えることはできない。 ということなので、今日はそのことについての研究をしました。 ■神の都(旧約時代) → 神の教会(新約時代) これについてよく分かる書物は手紙や黙示録である。 黙示録ではよくこのことについて話されている。 黙示録の時に私たち、教会は神様の妻である。 これについて見ようとすると直接書かれている箇所がわからない。 右の手がさばきであるといことのほうがけっこうわかりやすい。 とくにこれについて説明する箇所が見つからない。 ■右の手 → さばき □出エジプト15:6 ここでは、神様の右の手は敵を打ち砕くと書かれている。 なぜ、さばきであることがわかるかというと、 この箇所の前のストーリーを見ればわかる。 □イザヤ45:1 クロス王の右の手は国々を従わせ、下らせる。 コメント: 右の手はさばく手でもあるということがわかるが、 それより、多く出てくるのは右の手で救うという言い方である。 あと、悪者の右の手という言い方もつかわれるときがある。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------