Subject:
詩篇48篇 教会と神殿
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/09/02 12:04
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇48篇の中で、やぐらを数えるという事などや、宮殿を巡りある事言う事がでてきますが、それを新約聖書に適用するという事で、教会について、教会と神殿のつながりについて見ました。

■1コリント3章16節:

ここは、直接教会が神殿であるという言い方は出てきません。しかし、ここで私たちが神様の神殿であると書いてあります。これは、神様の御霊が私たちの間に住んでくださっているということです。また、17節にあるようにもし、だれかがこの神殿を壊すならば、神様がその人を滅ぼす事になります。なぜなら、神様の神殿がきよい者であるからです。また、これは私たちが神様によって聖よくされたという事にもなります。

■1コリント11章17節:

このような、神様の教会であっても、その中に本当の信者が明かされるために、分裂が起ってしまうという事も、この1コリント11章に書かれています。このような分裂の中で、人びとは貧しい者や弱い者をはずかしめたりしてしまっています。このような、神様の神殿である教会が分裂してしまうという事もあります。なぜなら、ある教会の中には偽預言者なども潜んでいるからです。

■1コリント11章27節:

私たちは、神様の神殿でありキリストの体です。私たちはキリストの体の各器官であり、その体のぶぶんひとつひとつは分裂するのではなくて、ひとつのものとして調和していなければ行けません。ですから、もし一つの器官が、他の器官に対して高ぶってしまったりするのなら、分裂が起こってしまいます。それと同じように、もし一つの器官が苦しむのなら、他の器官も一緒に苦しみ、もし反対に喜ぶならともに喜びます。これが、神様の教会のあるべき姿です。

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