Subject: Re: [saiwainet] 詩篇50篇 桑野パパ |
From: Kuwano |
Date: 2004/09/14 1:39 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
桑野パパです。
●構造
1-4 本編(短いキアスマス 中心×)
a 1:神は語り、地を呼び寄せる(全能の証し)
b 2:神の麗しさ、光(救いの象徴)
× 3:神は黙っていない
b 4:神の火、あらし(裁きの象徴)
a 5:神は裁き、天地を呼び寄せる(全能の証し)
ここまでの中心{黙っていない}の内容が5以下に記される。
(導入I)5-6:聖徒を集め、これに神の義を告げよう。
a 7:義人に戒めを与える。
b 8-13:ささげられる生贄について。
c 14:真の生贄、感謝の心をささげよ。
d 15:さすれば救いを賜わん。
(導入II)16:私の掟を不法に語る悪者に告げよう。
a 17:悪者は戒めを憎む。
b 18-21:行われる不法について。
c 22-23前半:悪者よ、わきまえなさい。感謝しなさい。
d 23後半:さすれば救いを賜わん。
●構造の説明
この詩篇は2つの詩編が合体している。1-4が一つの詩編。5-23が前の詩編を
受けてつづられた2つ目の詩編。前の詩編の中心テーマの内容が、後の詩編で「義人
への語りvs悪人への語り」というキアスマス構造でうたわれている。ダブルキアスマ
スだ!!つまり後の詩編は、前半の詩編を強調していると考えられる。構造的に、こ
の詩編の中心議題は、「神は黙する神ではなく、生きて語られる神である」ことを教
えている。そして、生きている神は「救う神である」と後半の詩編で訴えている。
感謝の生贄をささげるには、生贄となる動物が沢山必要だが、神はこれを奪わないと
言っている。同時に、しかし、生贄の本質は感謝の心であることをも訴えている。生
贄となる動物同様、神は私達聖徒から、感謝の心(真の生贄)を奪うことはしないと
教えていると思う。私達人間は、ともすると、大きな試練の中で祈りこそするものの
感謝を忘れることがある。しかし、それは、私達の心の問題であり、決して神が感謝
の心を奪うのではないということ。感謝の心を失うのは人間の責任において罪であり、
全ての人が犯しやすいものである。だから、この詩編では、義人にも悪人にも等しく、
「感謝せよ」と歌っている。これは、神の御言葉である。