Subject: 今日の聖書研究のまとめ(+ちゃんくん) |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2004/09/16 21:00 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 今日の聖書研究のまとめをしました。 詩49篇と詩50篇の構造がすごく似ている。 また、49篇と50篇の導入と結論を交換して考えることもできる。 50篇の構造と49篇の構造はまず、導入があって、内容があって、結論である。 50篇の内容の所は7ー13と16-22節である。 49篇の内容の方は5ー11と14ー19節である。 二つ共は同じようなことが話されている。 50篇の内容の7ー13節の所は偽のいけにえ、それに対してすべては私のもの。 16ー19節の所は偽の戒め(戒めを捨てる)、それに対しては契約を行わない。 どっちのところも、悪者はこう行っている。その後に神様はこうする。 49篇の内容の5ー11節は偽富で、14ー19節は偽栄である。 悪者はけっきょく50篇で神様を捨てて、さばかれないと思っている。 それを見て、神様は審判者であられるので、必ずさばかれる。 50篇を見るときに私たちが偽善と言っているのは、 人にはやりなさいと言うけれども、実は自分ではやっていない。 神様はパリサイ人の長い祈りをも聞いておられる。 パリサイ人は祈らないわけではない、礼拝をしないわけではない。 しかし、心の中はからっぽであるというのは、 けっきょくは礼拝をしていないということになる。 後半の16ー22節の所の悪者と言われている悪い民は、 さっきいった偽善を行っている、実に新約聖書でいうとパリサイ人である。 人には言うけれども、自分ではぜんぜんやっていない。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------