Subject:
詩篇50篇 詩篇49篇
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/09/16 12:30
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇50篇と詩篇49篇を一緒に見ました。

■二つの詩篇は”偽”についてのはなしである:

大きく分けて言うと、二つの詩篇の中に”偽”は4つほどあります。一つ目は偽富、二つ目が偽栄、そして、その次に三つ目として偽礼拝があります。四つ目には、偽善です。また、この四つそれぞれにもう一つの部分があります。偽の富に対しては死があります。なぜなら、偽の富は死んでしまったらなくなってしまうというものであるからです。そして、次の偽の栄えも偽の富と同じ事になります。偽の礼拝のもう一つの部分とは、主に対する恐れがないという事であり、これは次の偽善の話にも共通しています。なぜなら、偽りの礼拝とは偽善だからです。いけにえは捧げているが、意味なく捧げているという話です。

■死んだ後の事を気にしていない悪者:

詩篇49篇の特徴は悪者がこの世で祝福されているということです。また、ここにでてくる悪者とは詩篇50篇にでてくる、悪者と同じ人物です。この人たちは、この世の祝福にしか目を止めていません。そして、そのあと死んだらどうなるのかは気にしていません。それは、詩篇50篇16-17節の神様の戒め、おしえ、契約、言葉を憎んで投げ捨てたというところもでも分かります。彼らは、神様を忘れた者であって、神様が黙っているので、神様が自分のやっていることを見ていないと思っています。しかし、彼らの悪はすべて明るみにでるということが詩篇50篇21-22節に書かれています。

■導入が同じである:

詩篇49篇の最初導入の”聞きなさい”というところと、詩篇50篇のはじまりかたは非常に似ています。詩篇49篇では神様の知恵を語るために、人々をすべてのところから集めています。一方、詩篇50篇ではさばくために全地を呼び寄せているということになっています。つまり、詩篇49篇は知恵を語るために呼び集めていて、詩篇50篇では主のさばきを語るために呼び集めているということになっています。

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