Subject: 詩篇51篇「いけにえについての説明文」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2004/09/21 20:46 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 いけにえについて説明文を書きました。 いけにえについてのストーリーの一番最初はアダムとエバである。 アダムとエバは罪を犯し、動物によって、神様に贖ってもらった。 次は彼らの息子であるカインとアベルの話である。 一番聖書の中でいけにえについて書かれている書物は、レビ記ではないかな。 レビ記はイスラエルの礼拝について、書かれている。 私たちは今では実際にはいけにえをささげてはいないが、 しかし、いけにえをあるいみではささげている。 それは毎週日曜日の礼拝の中心である聖餐式である。 神様はこの世を愛してくださり、この世にキリストを送り、 私たちのために神の一人子であるキリストを十字架にまでつけてくださいました。 キリストは三日の後によみがえり、私たちにあらわれてくださまいした。 それが私たちの唯一なるいけにえである。 私たちはもう二度といけにえをささげて動物の血を流すようなことはない。 動物にまさる、いけにを神様は私たちのためにささげてくださったのです。 反対にいけにえをさささげるものは神様にさばかれるのです。 なぜなら、それはキリストの唯一なるささげ物を信じていないからです。 信じている者はもう、二度といけにえをささげることはないのです。 ということで、いけにえは私たちの罪を贖う、救いの儀式であり、 その救いは喜びに至るのです。 いつも、私たちは日曜日の聖餐式のときに言われているように、 ただ、罪を悔い改めるならそれはいんちきの悔い改めであり、 ほんとに悔い改める者はキリストのいけにえを喜び、感謝するのです。 もし、カインのようにいけにえをささげるとき、感謝の心がなければ、 神様はそのいけにえを喜ばれません。 神へのいけにえは砕かれたたましい、砕かれた、悔いた心である。 あなたはそれを大いに喜ばれます。 ということで、この前の詩篇50篇の感謝のいけにえにつながる。 いつも、どのような状態にあっても神に感謝する。 砕かれた、悔いた心のない、いけにえは神は喜ばれません。 だから、砕かれたたましい、砕かれた、悔いた心をもって、神にいけにえをささげる。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------