Subject:
詩篇51篇 ヘブル9-10章
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/09/22 11:42
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

引き続きヘブル9章を研究しました。

■ヘブル9章:

1-10節:旧約時代のきよめのしかた


11-22節:新約時代のきよめのしかた


 23-28節:キリストがもう一度来られる時

詩篇51篇の前半で、詩人は自分の罪がきよめられる事を求めています。そして、ヘブル9章ではどのようにきよめられるかという事が書かれています。旧約時代のときは、祭司がいけにえをささげたり、動物の血を聖所にもっていったりしていましたが。しかし、キリストが来てくださった新約時代では、ただ一度キリストが私たちの罪のためのきよめのいけにえとなってくださったことによって、私たちは罪からの永遠のあがないを成し遂げられました。キリストは罪がない方であるのに、罪深い私たちのためのいけにえになってくださったということです。このように、きよいかたによって私たちの罪は完全にきよめられました。このことこそ、詩篇51篇の詩人が求めていた事です。

ヘブルの9章15節には、キリストが新しい契約の仲介者になってくださったと書いてありますが、詩篇51篇も神様と私たちの間の契約の話です。それは、詩篇51篇の1-19節の中で30回以上も繰り返されている”あなた”と”わたし”という言葉からも分かります。詩人はこの詩篇の中で、罪をからのきよめを願っているという事は、神様ともう一度正しい関係に戻りたいという事であると言えます。つまり、契約が新たにされる事を求めているということです。そのためにささげなければいけないいけにえとは、全焼のいけにえでもありません、神様が求めておられるのは義のいけにえです。この、義のいけにえというのは感謝のいけにえと同じです。

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