Subject:
詩篇55篇 重荷
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/10/20 12:19
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇55篇22節の重荷を聖書の中で探してみました。

■出エジプト18:22、民数記11:11、民数記11:17

モーセのしゅうとであるイテロは、モーセのやっている事が重すぎると言って、神様を恐れる誠実な人たちを立てて、小さい事件はみなその者たちがさばき、大きいな事件をモーセがさばくようにと伝えました。そのようなことによって、モーセの重荷がすくなくなるためです。モーセは自分で重荷が重いということを神様に訴えた事がありますが、このときもイスラエルの民についてです。なぜなら、民がモーセに文句を言ったり、泣いたりして肉を食べたがったりしたからです。この重荷のために、モーセは神様に死を求めるまでになっています。このときのモーセの状態は詩篇55篇のダビデの状態によく似ています。このモーセの訴えの後で神様はモーセに答えられ、七十人の長老たちに霊を彼らの上に置き、彼らがモーセの重荷をともに背負うようにされました。

■申命記1:9、申命記1:12

モーセはイスラエルの民の前でこう告げました、”私だけであなたがたの重荷を負う事はできない。なぜなら、その民が神様に祝福されてとても多くに増えたからです。そのために、モーセは人々に命令し部族ごとに知恵のあるつかさを立てて、その人々がかしらとなるようにしました。また、その人々にかたよって人々をさばいたりしてはいけないと言いました。モーセはすべての民の重荷を背負いきる事ができなかったので、このようにかしらたちにそれぞれの部族のさばき主とさせました。

■ヨブ7:20

ヨブは神様に訴える時に、なぜ自分が重荷を負わなければいけないのかと言っています。ここでヨブが言っている重荷とは、罪の事です。ヨブはこの重荷のために死を求めているという点で、モーセと似ています。モーセも重荷について神様に訴えますが、これが、詩篇55篇で言われている神様に重荷をゆだねるという事です。もし重荷をもっているならば、ただ単に文句を言ったりするのではなく、神様に祈って訴えなければいけません。ただ文句を言っているというのは、荒野のイスラエルと同じになってしまいます。

--------------------------------------
 :: Miwaza Kanno ::
    miwaza@miwaza.com
 http://miwaza.com
 God be with you :)
--------------------------------------