Subject:
詩篇56篇 いのちの光(ケイヤ)
From:
Date:
2004/10/28 21:04
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

今日の詩篇研究では詩篇56篇のクロスリファレンスを見ました。そしてヘブル人への
手紙との関係などを見ました。それで続けてク新約聖書の関連している箇所を見るた
めに「いのち」と「光」がでてくる箇所を見ました。

新約聖書にいのちと光という言葉が一緒にでてくる箇所はあまり多くないが、両方の
言葉の関係は大切である。

●ヨハネの福音書1:4

この箇所は創世記を指して書かれているということで有名である。ここで主イエス・
キリストは言葉であり、この方は神とともにおられ、神であったということが言われ
ている。そしてこの方にはいのちがあり、いのちは光であったということが言われて
いる。光であったということは主イエス・キリストが私たちのいのちの光であるとい
うことである。詩篇56篇で私たちがいのちの光のうちに歩むということは主イエス・
キリストと共に歩むことであると言えるのかもしれない。

●ヨハネの福音書8:12

主イエス・キリストは群衆に向かって話された時に自分が世の光であり、主イエス・
キリストと共に歩むならいのちの光を持っていると言われる。主イエス・キリストと
共にいるなら死ぬことはなく、いのちの光を持って生きるのである。

●ヨハネの黙示録22:1

ヨハネは新しいエルサレム、新天新地の幻を見る。都には12の門がある。またそこに
は光るいのちの水の川があり、その両側にはいのちの木があった。

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