Subject: 神が一度告げ、私は二度それを聞いたについて |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2004/12/09 20:35 |
To: "saiwai.net saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 神が一度告げ、私は二度それを聞いたということについて見ました。 11節には二つの訳が考えられるのではないか。 一つめは一度告げて二度聞いたというのと、二つめは一つのことと二つのことである。 羊本はこのテーマについて三つのことをいっている。 一つは一つのことを二度告げたという強調のことと、 ふたつの教訓を与えたという詩的の言い方であるというのと、 三つめは一つのことを言ったが、詩人は二つのことを学んだということである。 聖書には一つのことをすると二つの耳が鳴るという箇所が三つある。 第一サムエル3:11と第二列王記22:12とエレミヤ19:3である。 神様がさばきをなすということは神が告げると言うことになる。 この三つの箇所からも言えるように神様は告げてはいない。 神様が告げると言うことに対しては聞くということで、さばきをなすことに対しては さばきを私たちが見ると言うことになる? 羊本が一度告げて二度聞いたというテーマについて三つのことを考えたが、 その中の二と三について言えるのが、二つの教訓と二つのことを学ぶというのは、 力は神のものであるということと、恵みは神のものであるということである。 ちゃんくんは三番の考え方が一番いいのではないかと考えた。 箴言の30:15と21節から言えるように神の忌み嫌うことが六つある七つあって というようなことをいっているのではないかともいえる。 この箇所はおまけであるが、創世記41章のパロの夢も、 パロが神様がこれをすみやかになされることを知るために一つの夢を二回見せられた。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------