Subject:
詩篇63篇 荒野(ケイヤ)
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Date:
2004/12/14 12:36
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

詩篇63篇の1節にある荒野のテーマはこの詩篇を理解するにあたって大切なので、荒野というものはどのようなものなのか、そこにいるということはどのようなことなのかを研究しました。

●創世記16章

ハガルは2度アブラハムとサラの所から逃げて荒野に行った。最初の時はイシュマエルが産まれる前である。彼女はサライの代わりに子供を産むためにアブラムの妻となったが、サライに対して横柄になったので、サライは彼女を追い出した。その時に彼女は荒野に行ったが、そこで主の使いが彼女に会い、戻るように言う。ここで興味深いのは彼女が荒野に行ったが、そこで乾いた場所ではなく、泉に行ったということである。また詩人は荒野に行った時に主から離れているということになったが、ここでハガルには主の使いが現れてくださっている。しかし、サライとの敵対関係になってしまったために逃げたということは詩篇63篇と変わらない。詩篇63篇の前半に特に敵はでてきていないが、敵がいるために荒野にいなければならなくなってしまったというように考えられる。この箇所と同じである。

●創世記21章

ハガルの2度目の荒野行きはイサクが産まれた後である。この時には自分の息子イシュマエルと一緒であった。この時にはサラがハガルをいじめたのではなく、ハガルの息子イシュマエルがサラの息子イサクをいじめたのである。それでアブラハムは困った末に彼らを荒野に行かせた。アブラハムはハガルにパンと水を与えたが、それが尽きた。しかし、また主はここで彼女に表れてくださり、泉を与えられる。そしてイシュマエルは成長するのである。この箇所も創世記16章と同じように神が来てくださり、水はなくなっても与えられるのである。

●創世記37章

ヨセフがヤコブの跡継ぎとなるということが分かった兄弟たちは怒って、ヨセフが父から離れている時に彼を殺そうとする。しかし、ルベンは兄弟たちを止めてヨセフを荒野の穴に投げ込む。24節にあるようにそこには水がなかった。しかし、主はヤコブと彼の家族を救うためにヨセフをエジプトに導かれるのである。

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