Subject:
詩篇63篇 砂漠の衰え果てた地
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/12/14 12:03
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

砂漠の衰え果てた地が関係しているストーリーを見ました。

■創世記21章:

ハガルはサラのしもべであり、イシュマエルの母である者でしたが、イサクの乳離れの宴会の日にイシュマエルがイサクをからかっていたので、アブラハムはハガルとイシュマエルに水とパンを持たせて送り出しました。そのことによって、ハガルとイシュマエルは荒野をさまようことになり。最終的には、荒野で水もなくなり死にそうになりました。ということは、ハガルとイシュマエルが詩篇63篇にあるように”水のない、荒野の衰え果てた地で”飢え乾いていたという事です。このような状態におかれたときに、神はイシュマエルの声を聞かれて、井戸を与えられ、そのようにして、イシュマエルとハガルは荒野に住み着きました。63篇とハガルの話の違いは、詩人が神様を慕い求めて飢え乾いていたという事です。

■出エジプト記12章:


イスラエル人は長い間エジプトにいて苦しみを受けていました。神様はそのイスラエル人たちをエジプトから連れ出され、荒野に連れて行かれました。その荒野の中で、イスラエルはモーセに文句を言って、水を求めたり、食べ物を求めたりして、エジプトに帰りたいと言ったりしました。つまり、イスラエル人は飢え乾いていたので。しかし、彼らは63篇の詩人のように、神様に助けを求めたのではなく、モーセに文句を言いました。荒野で反逆した民をも、主はあわれんでくださり、主はエジプト人の手から救ってくださいました。

■2サムエル16章:

この詩篇を書いた時に、詩人は実際に荒野にいました。なぜなら、詩人とはダビデであり、ダビデは自分の息子であるアブシャロムから逃れていたからです。ダビデは詩篇63篇の1節にあるように、本当に飢え乾いていましたが、メフィボシェテに仕える者が食べ物と飲み物をを持ってきたので、そのような状態から救われましたが、ダビデは続けて荒野のような場所にいました。この時のダビデの苦しみは飢え乾いているというだけではなく、彼を呪う敵もいました。その敵とは、ダビデの息子であるアブシャロムでもあり、サウルの家の者であるシムイというような者でもありました。

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