Subject: 詩篇63篇「11節の神にかけて誓う者研究」 |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2004/12/15 11:55 |
To: "saiwai.net saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 63:11節の神にかけて誓う者とはどのような人かを見ました。 誓う者というときに思い出すのはナジル人である。 ナジル人は神様にかけて誓っている者である。 これは61篇のときにもやったことである。 ナジル人が誓い人であるというのは民数記6章でわかる。 私たちも実は誓い人である。バプテスマを受けるときに神に誓う。 毎週聖餐式でも私たちは誓っている。 私たちは神にかけて誓う者と呼ばれる。 私たちだけではなくクリスチャンみながそうである。」 ■申命記6:13 ここは63:11の誓いのクロスリファレンスで一番最初に出てくる箇所である。 ここでは主を恐れるというテーマと御名というキーワードがいっしょに出てくる。 構造を考えたときに前半と後半にわけたが、前半の4ー5に御名という言葉が出てく る。 ■イザヤ45:23 ここも63篇を考えるときには大切な箇所になるのではないのか。 この箇所では神にかけて誓っていのではなく、自分に誓っている。 24節に63篇に出てくる力ということばが出てくる。 ■イザヤ65:16 この世にあって祝福される者は神にあって祝福され、 この世にあって誓うものは神にあって誓う。 ここでは特には63篇と同じことばが誓い以外には出てこない。 クロスリファレンスではこの三つの箇所しか出てこない。 あと思い出すのは先々週やったマタイ5:33-36の誓いを立ててはならないとい う箇所である。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------