こんにちは。菅野みくにです。
詩篇64篇、「人の内側のものと心とは、深いものです」と言う箇所についての説明文を書きました。
■まとめ:
今日、6節の「人の内側のものと心とは、深いものです」という箇所を別の訳で見たりしたが、ほとんどが同じだった。人の内側のものとは、心であることが分かった。
「人の内側のものと心とは、深いものです」と言うことを聞いたときに、わたしが連想したのは、第一サムエル記16章6-7節だった。その箇所で、サムエルはエッサイの家の者に油を注ぎに行った。最初に長男のエリアブと言う人が来たが、サムエルは彼こそが油注がれるものであると思った。
しかし、神は彼の背の高さや、容貌を見てはならない。わたしは彼を退けていると仰せられた。また、神は人が見るようには、見ず、人はうわべを見るが主は心を見ることも仰せられた。
あとは、人の内側のものとは隠されているもののことで、隠れる、隠すと言うことは一番最初に創世記3:7と3:8に出てくる。3:7でアダムのエバは葉っぱのパンツをつくって自分たちをかくし、3:8で、神様の声がしたときに怖くなって隠れました。このように考えると最初の隠れる、隠すと言うことは余りよいことではないようです。
■他に連想する箇所:
他にわたしが、「人の内側のものと心とは、深いものです」と聞いたときに連想する箇所は、マタイ福音書23章です。この箇所で、キリストはパリサイ人に対して、忌まわしいものだと言っています。彼らは自分たちの外側はきよめているが、内側は強奪でいっぱいですと言われています。
・マタイ福音書23:26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
・マタイ福音書23:27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
・マタイ福音書23:28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
今日研究したホワイトボードに書いてある図のように、悪者は裁かれる前は自分の怒りや高ぶりを明らかにし、自分の罪や恥を隠します。まさに、この箇所です。しかし、裁きのあとには高ぶりを明らかにしていたのが滅ぼされ、恥を見るようになります。反対に悪者の明らかにしていたものは隠されるのです。
正しい者の場合はどうなのかというと、裁きの前には嘆きの状態で、自分の罪や恥を明らかにしています。悪者とは反対に怒りと高ぶりは隠しているのです。しかし、裁きのあとの喜びの状態になると、正しい者は神に隠され、かくまわれ、義と誇りを隠すようになります。
---------------------------
+かんのみくに@カンノファミリー
mailto:mikuni@kanno.com
http://mikuni.net/
お手紙好きのくーちゃん
---------------------------