こんにちは、+イトウショウです。
隠す、隠れるについて考察しました。
◆創世記3:8
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
ここに、聖書で最初の隠れるという言葉が出ている。神はアダムとエバに、善悪の知識の木の実を食べないように命じたが、彼らはサタンに誘惑されてしまったために、食べてしまった。食べたら目が開けて、自分たちが裸であることがわかったので、衣を作って自分たちの裸を隠した(3:7)。そして、普通ならば恐れるべきものではない主を、罪を犯したために避けた。
◆エレミヤ書23:24
人が隠れた所に身を隠したら、わたしは彼を見ることができないのか。――主の御告げ。――天にも地にも、わたしは満ちているではないか。――主の御告げ。――
ユダの民は、ユダがイスラエルから分裂してから徐々に堕落してしまっていき、エレミヤの時代にはかなり堕落しており、エレミヤが主の言葉を伝えても、ほとんどの者が聞こうとしなかった。この箇所で、民は主の全能を否定している。すなわち、主は人が隠れても見つけられない、とか、「人の内側や心」を知ることはできないということである。しかし、主はすべてを支配しており、民の心をすべて把握していたので、この時代の後にユダを裁かれた。
◆アモス書9:3
彼らがカルメルの頂に身を隠しても、わたしは捜して、そこから彼らを捕え出し、彼らがわたしの目を避けて海の底に身を隠しても、わたしは蛇に命じて、そこで彼らをかませる。
主は堕落したイスラエルの民をさばくために、神殿を打ち、全ての者を殺す。もし、誰かが逃げて隠れても、神の目から逃れることはできず、主は必ず見つけて捕らえられる。主は他国に行った者をも裁かれ、イスラエルの民に災いを下す。
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Shou Itou
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Lord Be With
You!!
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