Subject:
詩篇65篇「月曜日の学び」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/01/03 11:08
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

構造を考えたあとに65篇で気がついたことを見ました。

8節のところは平行している。
地の果て果て、恐れます。朝と夕べの起こるところ、歌うようにされます。
朝は東で日の昇るところを現しているのではないか。
また、夕べは日がしずむ西のことをあらわしているのではないか。
東と西の一番遠い離れているところまで歌うということだろう。

水でびしょびしょになっている動物というときに、
申命記32章のモーセの歌を思い出した。
この箇所はクロスリファレンスにもかかれている。
黙示録でモーセの歌といったときに申命記に32章をあらわすのだろう。

みわざと罪の赦しがいっしょに出てくる箇所は、
詩篇19篇や、130:4篇である。(これだけじゃない、他にもある)

自分の罪によって戦いをまねいてしまった。
しかし、神様の赦しによって敵がさばかれる。
これは聖書も、私たちの人生の中での繰り返しである。

罪の赦しと聖なる宮がいっしょにでてくる箇所は、
ソロモンの神殿が完成したときに神様に祈った祈りである。

私たちはもともと神様の聖なる宮にすむことのできるような人はではなかった。
しかし、神様に罪を赦されて、神様の家に住んでいるかのようである。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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