Subject: 詩篇65篇 罪の赦し(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/01/05 11:59 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 この詩篇で3節だけが飛び出しているように見えるが、それは私たちの考え方が まちがっているからである。私たちは罪の赦しが個人的だけではなく、民のもの であることを覚えなければならないのである。今日は罪の赦しがでてくる聖書箇 所を見ました。 ●創世記18:24 主はアブラハムに表れてくださり、彼にサラによる息子が与えられることを伝え られる。その時に主はアブラハムにソドムとゴモラを火によってさばくことも告 げられる。その時にアブラハムはそこにいる正しい者のために主に嘆願し、もし 50人の正しい者がいるならその町全体を赦してくださるように願う。預言者アブ ラハムは町全体の赦しを求めるのである。罪が赦される時の具体的なことの一つ は神の家に戻れるということが詩篇65篇にあるので、アブラハムはソドムとゴモ ラがその中にいる神を信じる者たちによって神の家になることを求めているとい うことも言えるのかもしれない。 ●創世記50:17 ヤコブは死ぬ時にヨセフに命令し、兄弟たちの罪を赦すようにと言った。それを 伝えた兄弟たちもヨセフに赦しを求めると、ヨセフは涙を流して彼らを赦した。 ●出エジプト記10:17 パロがイスラエルの神を礼拝させるために旅をすることを許さなかったので、神 はモーセを通してエジプトに対してさばきをなされる。しかし、パロは強情であ くまでも悔い改めようとはしなかった。それで続けてさばきをするといなごのさ ばきの時に赦しを求める。しかし、それは一時的なもので本当の悔い改めはしな かった。