Subject:
2005年1月6日の聖書研究
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/01/06 11:34
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

罪の赦しを新約聖書で見るときにキリストの働きを見るべきではないか。
罪の赦しと病気を直すことはいっしょである。

13節の人々が喜び叫んでいるという訳は人々ではなく、彼らである。
13節は12節に平行しているのではないかと思ったが、8節に平行している。
8節は朝と夜が歌っていて、人が歌っているのではない。

罪の赦しが行われて喜んでいるのと、さばきが行われて地が水でしたたっている箇所は、
ソロモンのストーリーである。
人々は神様のみわざを見て恐れ、神様を歌うようになる。
ソロモンは人に対して義のさばきを行う。
なぜ、ソロモンは有名かというと正しい知恵をもってさばきを行うからだ。
人々はソロモンの知恵を見に来、謁見する。
謁見は身分の高い者に合いにくるという意味である。
ソロモンは王の子である。神様はソロモンを愛の子、ダビデの子と呼ぶ。

ソロモン以外にこのような人はヨシュアである。
相続地にいれられる人はなんと幸いなことでしょう。
ヨシュアの時代はイスラエルは荒野の中で偶像礼拝をしている。
しかし、神様によって罪を赦されてカナンにはいっていく。
ヨシュアは古いイエスである。イエスは新しいヨシュアである。
エジプトから出たイスラエル人はみなカナンにはいれなかった。
しかし、ヨシュアとカレブだけはエジプトからいっしょに出たがカナンに入れた。
カレブは異邦人である。もともとはケナズ人であったがユダ族にはいった。(民数記32:12)

罪の赦しがあって、神様の家に入れるようになって、敵をさばき、地がびちょびちょのストーリーはキリストにおいて十字架にかかって、天にのぼって、神様の右の座について敵をさばき、教会に御霊が与えられることである。

1-4節は王の救いで、5-13節は王様が民に救いをもたらすである。

ノアは箱船にいれられて水をとってバプテスマを受け、罪赦され、全世界へのさばきを見る。
ノアも同じことである。このようにして、ノア、ヨシュア、ソロモン、キリストきたので、われわれにはどのように適用していけばよいのか。

ネヘミヤはたくさん罪の赦しを神様に祈った。
ネヘミヤ1章(ネヘミヤはここでソロモンの祈りを思い出してくださるように祈っている)
地の果てにだれかがおいやられても主が選んだ場所に彼らを連れ戻されると言われたではないかと神様に訴える。
エズラ、ネヘミヤの時代にメサイアであるクロスがきて地をさばく。
エズラとネヘミヤへの祝福はエゼキエルの神殿の成就である。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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