Subject: 詩篇65篇と申命記32章(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/01/06 12:02 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 今週の詩篇と申命記32章には共通している点がある。それでどのような点が共通 しているのかを書き出しました。 ●概略 申命記全体はモーセがもう一度イスラエルの民に訓戒、教訓を与えている書物で ある。そして最後に民に主の命令を守るよう厳しく教え、遺言として歌を歌う。 モーセはまず天と地に証人となるよう呼びかける。そのあとに主は岩であり、完 全なお方であることを伝える。しかし、民はこの主に対して愚かにも逆らったの である。彼らは祝福されたのに何度も逆らったので、主は彼らを怒りによってさ ばこうとしたが、何度も怒りを思い直された。そして敵に対してさばきをし、彼 らを救われるので、彼らは賛美した。 ●詩篇65篇との関係 申命記32:4で主は岩であり、完全なお方であるということが言われている。この ことは詩篇65:5-7で特に表れている。主は恐ろしいみわざをもって国々を支配し ておられるのである。 すべての恐ろしいみわざをなさる主がイスラエルの民を導き、祝福を与えてくだ さったのに、イスラエルの民は逆らい、文句を言ったのである。これは詩篇65:3 に書かれている咎である。しかし、主はその咎を赦してくださるのである。主は 何度もその悪に対して怒りを抑えされるのである。 何度も逆らうイスラエルの民は神によって選ばれたので、良い者で満たされてい た。彼らは何度逆らっても主によってあふれるばかりの祝福を与え、敵をさばか れるのである。 それなので私たちは主を賛美しなければならないということをモーセはイスラエ ルの民に最後の43節で訴えているのである。