+ちゃんくんです。
由美ママからの66篇についての質問
18節の心にいだく不義というテーマはこの詩篇の中でどのような位置づけになっているのか。
65篇と対比することによって明らかになる。カナ?
5-12節のことを神様がしてくれたので、1-4節のことをする。
6-20節のことをしてくださったので、13-15節のことをする。
1-4節は5-12節の応答である。1-4節は神様のみわざ。
13-15節も同じように応答で、16-20節は神様のみわざである。
66篇のテーマは65篇の全体とひっくりかえっているではないか。
前半に誓いと祈りを聞くがあって、後半に喜びがある。これは65篇。
こんどは前半に喜びがあって、後半に誓いと祈りを聞くがある。これは66篇。
66:3節のあなたの敵はみなへつらい服しますというのは、足の下に従わせるということである。
65:2節のすべての肉なるものが参りますというのは神様のもとに礼拝にくるという意味である。
65:2節と66:3節を対比させるなら、66:3節と65:6-7節ぐらいのところを対比したほうがよい。
65:9-13節と66:5-12節の話は平行していない。一番長いところが違う。
しかし、9-13節と、5-12節はいっしょに考えなさいという意味である。
66篇のほうは死を通してエデンの園にはいるということである。
65篇はカナンに入ってその地をエデンの園化している。
65篇の前半のだいは王の救いで、後半は民の救いである。
65の直接な人物はヨシュアではないか。
66はそれに対してモーセである。
王の救いと言ったときに大祭司は関係ないと思われてはならない。
王の救いだけではなく、リーダーの救いということである。
65篇はソロモンみたいなところもある。
義の王様が与えてくださることは義の正しいさばきである。
もし、罪があるなら、その祈りは神様は聞いてくださらない。
それによく似ているのはカインとも言えるが、山上の説教の殺してはならないのだんらくのところを思いださなければならない。(マタイ5章)
もし、兄弟との間に罪があるなら、まずいけにえは祭壇の前において、兄弟と仲直りしてこなければならない。
水の中を通るということは民をきよめるということになる。
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+審也@カンノファミリー
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