+ちゃんくんです。
■新約聖書で見る66篇
□火の中を通り、水の中を通ったという箇所。
モーセーヨシュア、ダビデーソロモン、エリヤーエリシャ、ヨハネーイエス。
ヨハネはエリヤだと言われている。エリヤのひな型である。
ここまでは来るがこのあとが問題になる。(使徒ー教会?)
使徒と教会ではなくて、イエスと教会(御霊)ではないか。
使徒は教会の始まりで、教会の中に含まれる。
66篇は一言で信仰の試練と言えるのではないか。
このテーマをapostolic bible 70人訳で調べる。
66:10節の精錬はギリシャ語の<1381>という番号である。
うしろから見ると大切そうな箇所が第一ペテロ1:7節にある。
どこからどこまで読めばよいのかを知るためには第一ペテロを分析しなければならない。
ちゃんと第一ペテロ1:7節のクロスリファレンスに66篇が出てる。
66篇のクロスリファレンスにも第一ペテロの箇所が出てる。
ヤコブ1:2-4節と12節の試練はちょっと違う意味である。
精錬するということだから、意味としては区別する、またきよめるということである。
出エジプト17:7節(神様を試みる。)
マタイ6:13節(主の祈りの箇所で出てくる)試みにあわせないでください。
第一ペテロ1:6の試練の番号は<3986>である。
ここの番号で探すとマタイの箇所や、ヤコブの箇所が出てくる。
黙示録3:10節、第二ペテロ2:9節、第一ペテロ4:12節、第一テモテ6:9節、
ガラテヤ4:14節、黙示録2:2節、2:10節、
手紙は試練に耐えなさいと言っているのでたくさん出てくる。
試練と誘惑ということばはくっついていて、誘惑はとなりの番号である。
使徒なのか使徒ではないのかをためさなければならない。
マタイ4:1節と3節のサタンが試みるというのはそのものである。
マタイ22:18節パリサイ人、ユダヤ人がイエスを試みる。
信仰の試練と直接書かれていなくてもそのような箇所はたくさんある。
試練はきよめられるということである。
祝福されるということは栄光かされるということと同じである。
神は創造の七日目を祝福して聖とされた。(創世記2:3)
その祝福をほしいと私たちは願っている。
信仰の先祖たちは神様にためされた。
ダニエルの三人の友達は火の中を通って救われた。
マタイ17:15節は悪霊にとりつかれた息子が火の中や水の中に落ちたりしているのだ が、だれも彼を救える人がいない。
ロトは火の中を通って救われたとも言える。(第二ペテロ2:6-)
火の中を通って救われるというのの一番大切なのはいけにえである。
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