+ちゃんくんです。
■66篇の構造
今週の詩篇はみわざの詩篇である。神のみわざを見よ。
今回の構造の手がかりは4節と7節と15節にセラがあるのと、5節と16節にさあということばがある。10節にはキーがあり、9節とつながっている。
いけにえと誓いが13-15節のところにかたまっている。
6節に川の中を通るのがあって、12節に火の中と水の中がある。
神様が私たちの祈りを聞いてくださるというのが神様の誓いである。
私たちと神様の関係は誓いにある。
構造はいろいろな手がかりにより1-12節の前半と13-20節の後半にわかれていることがわかる。
前半と後半の中はどちらとも二つにわかれていてABABになっている。
■66篇と65篇の対比
先週65篇を学んだ人は66篇を見て、誓いということばがあることがわかる。
18節で不義を何と考えているのか。
66篇だけを見て、このことを理解できるのではない。
65篇と対比しているとわかってくるのではないか。
65篇の前半は個人的な王の救いで、後半は民の救いである。
この詩篇は王様が全部書いてある。
私たちが歌うときにも、王様として神様に祈る。私たちは王である。
私たちの個人的な祈りも王様としての祈りである。
65篇と66篇の内容は順番がひっくりがえしになっている。
65篇はヨシュアのストーリーをあらわす。66篇の水の中を通るということはモーセのストーリーをだれでも思い出す。
65篇はカナンに入るところで、66篇はエジプトから出る話をあらわしているのではないか。
エジプトはこの世のエデンの園である。イスラエルはそこから出て本物のエデンの園に入りに行く。
先週は罪の赦しを求めるソロモンの神殿奉献の祈りを連想する。
65篇の前半のだいはサレムの王、平和の王の救いということであった。
65篇と66篇のちょっと違っているところは66:5-12節と
66篇と65篇は父と子の関係で、モーセとヨシュア、ダビデとソロモン、エリヤとエリシャ、ヨハネとイエス、イエスと教会かな。
■試練と誘惑
第一ペテロ1:7節の試練という番号と第一ペテロ1:6節の試練の番号はぜんぜん違う。
でも話としては同じことを言っている。
誘惑と試練の番号は一個違いである。誘惑の番号は3985かなんかである。
その誘惑ということばはみんなのよく知っている主の祈りに出てくる。
試練ということばは新約聖書の中にやまほどある。
この世の私たちの戦いは試みる者サタンである。
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+審也@カンノファミリー
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