+ちゃんくんです。
■67篇の契也の構造
A 1ー2節 民祝→国知
B 3節 国々賛美
X 4節 国々喜キー←裁き
B 5節 国々賛美
A 6-7節 民祝→国恐
今回のちゃんくんとくーにーの構造は同じである。
2節と4節を平行させて考えた。
2節のことを受けて3節のコーラスがある。
4節のことを受けて5節のコーラスがある。
■67篇のちゃんくんの構造
1-3節 前半
A 1節 どうか、主が私たちを祝福してくださいますように
B 2節 主は国々を導かれる
C 3節 神よ。国々がこぞってあなたをほめたたえますように
4-7節 後半
B 4節 主は国々をさばき、導かれる
C 5節 神よ。国々がこぞってあなたをほめたたえますように
A 6-7節 どうか、主が私たちを祝福してくださいますように
3節と5節は全体の中でどのようなつながりになっているのか。
3節と5節は前のことを受けて、言っているのか。
それとも3節と5節はその後に続いているのか。
契也の構造だと前にもつながっているし、うしろにもつながっているということになる。■今回の構造を考えるときの手がかり 3節と5節がまったく同じである。 祝福と国々ということばがたくさん出てくる。 セラが1節と4節にある。 4節の真ん中にはキーがある。 構造を考えるときに3節と5節を前とうしろどっちもつながっているという人は4節が真ん中であるということである。 4節のポイントは国々の民が喜ぶということである。 2節にはそのポイントは書かれていない。 もしかしたら、4節を二つにわけて4B節は5節につなげて、4Aが67篇の真ん中になるのではないか。 イスラエルは祭司の民なので、国々はみんな知っている。 もし、だれかが教会にきていて、クリスチャンのことを見ていたが、その人は教会から離れていってしまった。あるとき、もう自分では何もできない試練がきたときに神様のことを思い出してクリスチャンになるということもありうる。 教会に関係ない人に苦しみがきたとき、その人はきゅうに神様を信じるわけでもない。 神様の民が正しく行っていなければだれも救われない。 突然神様のさばきが来るわけではない。国々はイスラエルの民を見ている。 構造には二つAがある一つのAは神様が民を祝福する。 もう一つのAは国々が神様を祝福する。 ほんとは神様が国々を祝福するはずだが、国々が神様を祝福している。 その間にほんとは何かがあるはずだがそれがぬけてしまっている。 みんなその間にはいるものは知っている。 祝福ということばを聞くといいことをしてもらっているということを考えてしまう。 だから、聖書的に祝福について考えなければならない。 67篇に出てくる祝福ということばはバラクということばである。 普通は祝福はアシェルということばであるが、ここではバラクである。-------------------------------------+審也@カンノファミリー
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