Subject: 詩篇67篇 祝福について(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/01/18 11:57 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 この詩篇には何度も祝福のテーマがでてくる。しかし、私たちは本当に祝福とは どのようなものなのかが分かっていないので、聖書の中、新約聖書を見て祝福と はどのようなものなのかを研究しました。 この言葉は祝福とも訳されるが、同時に賛美というようにも訳される。この2つ の言葉はあまり関係がないのように見えるが、大切な関係を持っている。主は私 たちを祝福してくださる時に私たちは主を賛美し、主に祝福を返すのである。こ のように主を祝福するということはマタイの福音書21:9, 23:39などにでてく る。そこで主イエス・キリストがエルサレムに入場される時に人々は主を賛美 し、主イエス・キリストの祝福を求めるのである。 私たちは敵をも祝福するべきであるということはローマ人への手紙12:14とマタ イの福音書5章にある山上の説教で教えられる。それらの箇所で主イエス・キリ ストは自分の敵をも祝福するべきであるということを教えられる。それは神が私 たちを祝福し、同時に敵に対しても恵みを与えてくださるからである。 律法の下にいる人たちはのろいの下にいるということがガラテヤ人への手紙3:8, 9にある。そこで律法に仕えるならばのろいの下にあるが、信仰がある人はアブ ラハム契約によって祝福を受けるのである。このように祝福を受けるのか、のろ いを受けるのかは信仰によって決まるのである。