+ちゃんくんです。
ヘブル語で祝福はバラク(ベレク)であった。
67篇は神様が民を祝福すると、国々が神様を祝福するというテーマになっていた。
この二つのテーマをつなぐことはあわれみ、道、公正なさばきである。
公正なさばきということはあわれみということである。
神様、民、国々のくみあわせは全部で8つある。
1.三位一体の神様は愛し合う。
2.神様が民を祝福する
3.神様は国々を裁く
4.民は神様を賛美する
5.民は互いに愛し合う。(兄弟愛)
6.民は国々を裁く(神の裁きを待つ)
7.国々は神様を賛美する
8.国々は民を祝福する
9.国は他の国とともにへつらい合う。
国々はいつも神様を賛美しているわけではない。
だから、のろうか賛美するかである。
民に対しても同じでいつも祝福しているのではなく、迫害することもある。
アブラハム契約は8→3である。(民を祝福する国々を、神様は祝福する)
67篇の方は2→7である。(神様が民を祝福するので、国々は神を賛美する)
なぜ、国々はアブラハムというちっぽけな人を祝福しなければならないのか。
それは、アブラハムは神様の民であるからだ。
そのことはどのようにわかるのかというとアブラハムが神様に祝福されているかでわかる。
アブラハムのストーリーは連想するけれども直接ではなくて、ひっくりかえっている。
やっぱり祝福ということばについて続けて見なければならない。
■新約聖書での祝福
ギリシャ語の祝福という番号は2127である。
その隣にある2128,2129も同じようなことを言っている。ただ、どうしが違っているようなことだけである。
悪、敵を祝福するとはどのようなことなのか?
悪人に私はあなたを愛していますと言いなさいというわけでもない。
第一ペテロにその答えが書かれている。それは善を行うということである。
私たちは肉の欲に従わないように忍耐して、がまんしなければならない。
肉の欲の中で一番問題を起こすのは、口である。
第一ペテロのところで、ずっと口、舌、ことばについて話している。
どんなことにおいても善を行わなければならない。
妻たちは黙っていなければならない。そのために夫は祈らなければならない。
肉の欲に従ってしまうと悪口が働いて、あれがほしい、これがほしいと言って、文句をいってしまう。
だから、私たちは肉の欲に従わないように感謝して、祝福でたいこうする。
相手といっしょに悪いことをしないことは相手を祝福していることになる。
黙っていることも話すこともどっちも相手に対して祝福になる。
だから、妻たちは黙っていることは相手に対して祝福していることである。
相手がきもちよくなるように、私はあなたを愛していますというのと全然違っている。
しかし、私は相手が憎らしくて、大嫌いなんだというべきだもない。
ステパノを見ればわかるように彼は相手に対してぜんぜん反抗していない。
すべてのことを神様にゆだねている。復讐は神のものである。
ヤコブ3:9、第一ペテロ1:3、エペソ1:3、ガラテヤ3:9。
人の生きる目的は神の栄光をあらわし、神を喜ぶことである。
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+審也@カンノファミリー
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