Subject:
68篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/01/25 11:21
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

今回の構造は長いのもあるし、いろいろな繰り返しがあるので、考えにくい。
三年前の人の構造は大きくわけて二つにしていた。
繰り返しがあると言ってもへんなところで繰り返されている。

「神よ。立ち上がってください。」というのは契約の箱が動くときの言い方である。
契約の箱が動くときに言われている箇所は直接あって、民数記10:35-36節である。
契約の箱的な言い方は七節にもある。

神様の契約の箱の別の言い方は御力の箱、または足台である。
モーセは贖いのふたの二つのケルビムの間から神が語られることばを聞いた。(民数記7:89)
もし、構造を大きくわけて二つにわけるならば、19-35節のほむべきかなにする。

19節と35節だけにほむべきかながあるのではなくて、26節にもほむべきかながある。
だから、19節と35節がかぎになるわけではない。
ベニヤミンは一番若いのに、支配している。(ベニヤミンは若いという意味がある)

構造を考えるときに全体をつないでいるキーワードは御前、住む、御力、散らす、歌うである。
神様の前から散らされるというのと反対に神様の前に戻されるというのがある。
神様の前に戻されるというより、神様に集められるということである。

そうすると、群れということも神様に集められるというテーマの中にはいる。
神の山はバシャンの山とはどのような意味なのかがよくわからない。
神々の山というのも考えることができる。神々とは偉大をあらわす。

バシャンの山とはこの時代の一番偉大な山であるのにちっぽけなエルサレムをねたんでいる。
バシャンという名前の意味はフルーツという意味がある。(実を結ぶ)
バシャンはヨルダン川の手前にある。十二部族の時代になるとそこはマナセが住んでいる。

19節できゅうに重荷をになわれる主というテーマが出てくる。
これは救いの話である。主の民は死の前にいた。
モーセがエジプトから民を連れ出したときも目の前は海で、もう死であった。

力と勢いが出てくる箇所で思い出さなければならないのは黙示録5:12節である。
ツァルモンには雪がふっていたときと言ったときに、前回も前々回も高いところという意味かなと言っていたが、
今回もう一度考えると祝福されていないということをあらわしているのではないか。

バシャンの山々は敵の国の中では栄えているが、民にとっては荒地である。
7節の話は民数記10:33-34節である。
また、敵は神の御前から逃げ去れというのも民数記10:35節にある。

民数記10章の最後のところはまさしく68篇のところである。
民数記10:36節の神よ。お帰りくださいというのは68篇では民が帰るになっている。
今日の通読の第一歴代誌の箇所も契約の箱の話が出てきている。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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