+ちゃんくんです。
1節は民数記10章がまるごとであることはわかっている。
5節ー6節と18節は68篇を一言で言った文章がある。
28節の御力をふるい起こしてくださいは立ち上がってくださいのことなので1節とつながっている。
それで、構造は1節と5-6節、18節、28節を取り出して考えることにする。
4節に雲があるのと34節に雲があるのはいいところにあるので問題にはならない。
バシャンという名前もいいところにはいっているので構造を考えるときにはとびだしてりはしない。
民が祝福され、国々が祝福されることは契約を通してわかる。
また、ホワイトボードに書かれている絵を通してでもわかる。
その契約については5-6節と18節に書かれている。
王たちは民が栄えるのを見て、その民についてねたむ。
契約のあわれみが祭司の民に与えられ、全世界が恵みを受ける。
今回の構造を通して今の文章が言える。
5-6節は頑迷な者は焦げつく地に住むであったのに、18節は頑迷な者からさえもみつぎを受けるである。
13節は民が神様に守られているということをあらわす。
王たちは栄光に満たされている民を見るけれども、彼らのところにくることができない。
なぜなら、民は羊のおりの中にいるからである。
19節のセラはどうなるのか。それはいろんなところにくっつけることができる。
31節の使節は贈り物を民に持ってくることをあらわしている。
または、エジプトは行列で民のところに来ていることをあらわす。
王様たちのさばきの中で22節の民の話がはいっている。
12節の王たちが逃げ去る話は21節のほうにつながっていると言える。
22節の民の話のほうが構造を考えるときにはむししている。
民が散らされるというときに、申命記30:4節とネヘミヤの祈り、ネヘミヤ1:9節を見なけ
ればならない。
良い知らせを別の言い方では福音である。
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+審也@カンノファミリー
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