Subject:
72篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/02/22 11:10
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

18節から別にして考えていいのだろう。なぜなら、もうこれは決まった言い方であるからだ。
その中でも72篇は一番長いのである。一番長いのでもしかしたら72篇といっしょに考えたほうがよいのかもしれない。
たぶんこの言い方はいっしょに考えなくてよいのだろうが。わからない。

もしくっつけるならば、17節と19節が平行していることはわかる。
だからと言って、16節は18節に平行しているのか。
もしかしたら、16節は19節と平行させて考えて、15節が18節と平行していると言うのか。

18節と19節がないと72篇がなりたたないわけではないが、72篇の内容と平行している。
72篇では王様のことしか書かれていない。悩む者たちが叫んだとか書かれてはいない。
王様と貧しい者という考え方をしてしまうと、構造がうまく考えられない。

貧しい者が出てくるのは王様がこういう人であることをあらわすためであるからだ。
構造を考えるときに一番切りたい12節のあたまにキーがある。
普通はエジプトを倒した王様だから恐れられるとかだが、普通とは違って悩む者、貧しい者をあわれむから恐れられている。

どうやって、悩む者、貧しい者をあわれむだけで国々に恐れられるのか。
そのような、国は栄えるのは確かである。栄えていることであらわされる。
この王様は王様たちに人気がある。普通は国を治めるのは大変なことである。

周りの国々の王様たちは悩む者、貧しい者たちを捨ててしまうが、それを助けることを見るときに恐れて見に来る。
シェバの女王も国を治めることで、何かの意味で困っている。
イスラエルには戦いがこうだ、どうだというようなニュースがない。このようなことで有名なのかもしれない。

72篇の大切なポイントである平和がその国にあるので、みんなその国にはいってくる。
悩む者、貧しい者が受け入れられるというのは、その国は金持ちでなければならない。
三十年前、四十年前は悩む者、貧しい者たちはみなアメリカに集まってきた。

アメリカはその時代の一番栄えている、内戦のない国であったからだ。
悩む者、貧しい者が逃げるときに自分がいた国よりも貧しいところには逃げてはいかない。
その平和な国にイスラム教が入ってくる。そうすると問題だということになる。

彼らは毎日戦いたくて、ぜんぜんちゃんと働かない。ぜんぜん栄えていない。
シェバの女王はソロモンが何か別のやり方で栄えているのかと思って、来た。
しかし、来てみたらそうではなかった。悩む者、貧しい者をあわれむことが大切ですと言われた。

5節は前にくっついているのか、でも、5節には日と月の続く限りという言い方があるので、あとにくっつけてもいいのだろう。
自分の家族が栄えるときに見に来るときに私たちはこれは神様のあわれみによるのですと言う。
そのときに聞く耳のある者は、それを聞く。自分でやろうとしてもそんな簡単にやることはできない。

あわれみをしないのは、自分にお金がはいってこない。反対にお金をつかってしまう。
しかし、ソロモンがそれをやったのは、神様が祝福してくださると約束してくださったからだ。
従えることと繁栄は歴史の始まりから神様に約束れていることである。

1-17節までは王様の話をしていて、18-19節は神様の話をしている。
最初のアダムはへりくだる心をもたなかったので、新しいアダムがそれを果たした。

-------------------------------------
+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
-------------------------------------