Subject: 詩篇73篇 心のきよい人(ケイヤ) |
From: "keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com> |
Date: 2005/02/28 12:02 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんにちは、+KeiyaKannoです。 「心のきよい人」という言い方に興味があったので、この言葉について研究しま した。 詩篇73篇のクロスリファレンスには新約聖書は2箇所しかない。そのうちの1つは 1節にある「心のきよい人」につながっているマタイの福音書5:8である。そこは 主イエス・キリストの山上の説教の最初であり、そこで主イエス・キリストは 「心のきよい人」が幸いであるということを言っている。それは彼が神を見るか らである。神を見るということは詩篇73篇から学ぶことができると思う。詩篇73 篇を書いたアサフは最初はこの世で栄えている者を見、彼らに目を留めていた が、聖所に入った時に神のさばきに目を留め、神ご自身が避け所であることを 悟ったのである。 またこの言い方は旧約聖書に詩篇73篇以外にもう1箇所ある。それは詩篇24篇で ある。この詩篇の3節からの箇所で誰が主の山、主の聖所に入ることができるの かということが言われている。それは手がきよく、心がきよい人、またむなしい ことを求めず、欺きの誓いをしなかった人である。この人はアサフのような人で ある。最初は彼はむなしいことに目を向けてしまったが、不誠実な者を滅ぼされ ることを悟ったのである。それで彼は詩篇24篇にあるように祝福と義のさばきを 与えられるのである。 このように心のきよい人たちはは詩篇24篇にあるようにヤコブの子孫であり、詩 篇73篇にあるようにイスラエルの民なのである。心のきよい者たちこそ本物のイ スラエルの民である。 ------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com May God bless you! -------------------------