Subject:
73篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/03/01 11:28
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

第三巻の最初はアサフの歌が続いて、その後にコラの子たちの歌がある。
アサフはダビデが任命したうたうたいのリーダーである。
今週の詩篇は第三巻のはじまりであるに接続詞ではじまっている。

もし、巻物のはじまりではなくて、途中でこのようなことがあったなら、前の詩篇につながっているのかと考えることもできる。
73篇の構造は大きく分けて前半、後半の二つにわかれるのではないか。(ちゃんくんの構造は大きくわけて二つにした)
1節を宣言のように見なくてもよいのだろう。1節は2節につながっている。

1節に出てくる心のきよいと13節の心をきよめたは違うことばである。内容は同じであるが。
73篇はgood(善)ということばではじまっている。1節では善をしあわせと訳されている。
1節に出てくるまことには日本語の実に、ほんとにという意味と同じだろう。

アフということばにはあまり深い意味はない。ヴァ、ヴェと同じような意味である。
今週の詩篇はちょっと長いけれども、内容はわかりにくいわけではない。二つぐらいの内容しか出てこない。
一つは悪者は栄えている。けれども私は打たれている。二つ目は悪者は滅びるが、私はそうではない。

アサフは神様の近くにいて、いつも聖所で神様を賛美している人である。
アサフはダビデの詩篇のように特に敵と言ったときにだれをさして言っているのか。
ダビデの場合ならサウルと言えるが、アサフの背景人物はだれなのか。

73篇の内容を理解して、構造をよくわかるには、まず対比されているところを見なければならない。
富をましているときは平和であって、死ぬときもぜんぜん苦しみをしなくてよい。
悪者はこの世の富をましているが、まことの平和は実は神様の近くにいることである。

悪者はこの世の富を愛しているので、神様から遠く離れている。
まことの富は神様が相続分である。神が相続分である人はレビ人である。
12節にはこのようなというのがあるから前にくっつきそうだが、13節の頭には接続詞があるので、あとにもくっつけることもできる。

やっぱり12節はあとにくっつけて、1-11節にすればよいのではないか。
今日のカンノパパの構造は大きく分けて四つにした。最初は二つにわかれるかなと言ってけど。
このように大きくわけて四つにすることはできるが、そのつながりを何としているのかが問題である。

アサフたちは神様の聖所の前で「主はまことにいつくしみ深い、その恵みはとこしえまで」と歌っている。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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