Subject:
詩篇73篇 心のきよい人と愚かな者と高ぶる者の対比(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/03/03 12:12
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

詩篇73篇では心のきよい人と愚かな者と高ぶる者が対比されているので、彼らが
何をするのか?神は彼らに何をするのかを比べました。

この詩篇には主に3種類の人物がでてくる。

・心のきよい人 (1, 17, 24-28)
・愚かな者 (2-4, 13-17, 21-23)
・高ぶる者 (3-12, 18-20)

である。心のきよい人はこの世の富や平和に目を留めず、神に目を留め、たまし
いを神に向けている者のことである。愚かな者は神に対して反抗しているわけで
はないが、この世のことを見てすべりそうになっている者である。高ぶる者は本
格的な悪者で、この世の富で膨らみ、神に対して反抗している者のことである。
心のきよい人はアブラハム、愚か者はロト、高ぶる者はソドムとゴモラの人々と
して見ることは可能である。

まず主は心のきよい人たちに善をなしてくださるということが1節にある。しか
し、高ぶる者たちはこの世の平和や、富を善であるとし、高ぶって自分たちでこ
の善を得たと思っているのである。愚か者はこの世のものが善に見えてしまった
が、神によって神を相続することが善であることを悟るのである。

心のきよい人は山上の説教の最初に書いてあるように神を見、神に目を留めるた
めにすべることはない。しかし、高ぶる者は神を見ず、自分が神であると思って
いる。

愚か者は足が揺らいでいる。彼は高ぶる者がこの世で栄えるのを見てしまったか
らである。それで彼は苦しみ、またなぜ悪者が富んでいるのかを知ろうとして苦
しんだ。しかし、高ぶる者は富で満足しているために苦しむことはなく、苦痛は
ないのである。

高ぶる者はこの世の富と平和を受けて満足している。しかし、心のきよい人たち
は神を相続し、神を自分の富とするのである。それでしあわせになり、満足する
のである。

まだ途中です。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God bless you!
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