Subject: 詩篇74篇 そしりin新約聖書(将) |
From: Shou Itou |
Date: 2005/03/09 18:10 |
To: "+saiwai.net" <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 新約聖書から「そしり」という言葉についてみました。 ●マタイ5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪 口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。 この箇所は有名なキリストの山上の垂訓である。キリストのためにそしられた り、迫害されることが幸いであるということが聖書には良く書かれているが、こ の根拠としては、この世の中で孤立しても神からは必ず慰めを受けられるという ことが入る。キリストを真に信じている者、ペテロやパウロ、ステパノは迫害さ れても臆することなく神の御言葉を伝えたので結果的に殺されてしまったが、彼 らが悲しい者であるということは聖書には書かれておらず、むしろ彼らが喜んで いたということが書かれている。主イエス・キリストご自身も、正しいこと行っ たにもかかわらず迫害されて殺されてしまったが、復活してくださって、今は天 上で地上の人々に慰めを与えてくださる。この意味で、神のために死ぬというこ とは幸いなことである。 第1ペテロの手紙4:14も同じポイントを話している。その箇所には理由もきちん と書いてあり、それは御霊が留まってくださるからであるという。これも、御霊 は慰め主であるので、慰めが与えられるという意味である。 ●マタイ11:20 それから、イエスは、数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったの で、責め始められた。 この箇所で裁きを預言されているコラジンやベツサイダ、カペナウムはキリスト の力ある御業を見たのにその神のメサイアを信じなかったので、神を見ることが なかったツロとシドン、ソドムよりもその裁きは厳しいものとなる。 ●マルコ16:14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに 現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よ みがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。 キリストを信じる者で優秀であった12人の弟子は常にキリストと共に歩んでお り、その教えを身にしみていたはずであるのに、キリストが捕まえられるとすぐ に皆で逃げ、最愛のペテロでさえもキリストを3回裏切った。彼らは旧約聖書に 精通しており、キリストが復活するということはわかっていたはずなのに、現実 はキリストの復活を最初は信じず、復活したキリストを見なければ信じることが 出来なかった。私たちは聖書が与えられているので、よりいっそうキリストに心 を向けて信じなければ、この世の誘惑に負けてしまうので、努力しなければなら ない。-- Shou Itou E-Mail: shou_itou@parkcity.ne.jp