Subject:
74篇「木曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/03/10 11:03
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

79篇はすごく74篇に似ている。聖所の廃墟、いつまで、御名、牧場の羊、そしり。
79篇のまわりにはたくさん羊について書かれている。79篇にも羊について書かれている。
79篇が74篇に似ているとわかったのは、クロスリファレンスに書かれているからである。

クロスリファレンスを見るときに申命記29章に気がつく。
もし、神様のみことばを捨てて行わないなら、彼らに怒りが下る。
29節で問題になっているのは、隠されていること、あらわされていることではない。

神様に与えられた命令を行うかどうかが問題である。
隠されていることは何なのかを知りたがるのはへそまがりのアダムの子孫である。
神様の命令を守るのは、自分たちの行いが栄えるためである。(申命記29:9)

哀歌はまさしく74篇と同じ内容である。哀歌は神様に戻ろうとしたが、その戻る場所がこわされてしまった。
哀歌2:9は74:9と同じように、滅ぼされて預言者がいないと言っている。
なぜ、いつまでも私たちをお忘れなのですか。(哀歌5:20)

主の日には主のことばを聞くききんが来る。パンのききんではない。(アモス8:11)
民が罪を犯したのでというのは強調されていない。敵が聖所を攻撃しているというのがポイントである。
哀歌と同じ問題である。哀歌のほうが74篇よりもひどく見える。

敵が攻撃しているということになるのは、最初哀歌と同じような状態にあったからだ。
キリストは福音書で都の廃墟を悲しんでいる。(ルカ19:41-44)
哀歌の状態に対する救いは哀歌3:21-にある。30節は山上の説教において直接成就されている。

哀歌はソロモンがつくった神殿がこわされることの話をしている。
その次にエズラたちがもう一度神殿を建てたけど、ペルシャかなにかにこわされてしまう。
そのあとにヘロデが建て直して、それを見て弟子たちがすばらしいですという。
しかし、イエスはこれをこわして三日でたてると言われた。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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