Subject:
75篇「木曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/03/17 10:57
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

ナジル人とナザレ人ということばは発音は似ているがことばはぜんぜん違う。
詩篇が平衡法になっていることに気がついてから、単独のキアスマスの中心という構造はなかった。
今回は1-3節と4-10節の前半と後半に分けて、平行していると考えた。

1節の後半の詳しく書かれているのが2-3節で、それと同じように10節の詳しいのは4-8節である。
1節の前半も9節も賛美、感謝である。感謝があって1節の後半、10節がくる。
角の勝利によって地に平和がもたらされる。御国は角の勝利によって与えられる。

エルサレムという名前には平和の土台の上に建てられた都という意味がある。
3節の地の柱を堅く立てるというテーマはハンナの祈りの中にも出てくる。
第一サムエル2:8節のクロスリファレンスを見るときに75:3節と書かれている。

地の柱の最後は第一テモテ3:15である。(キリストの教会は真理の柱、また土台である)
息子たちは木となり、娘たちは神殿の隅の柱となる。(詩篇144:12)
キリストの足は柱である。神様の栄光の雲は神様の足のようなものである。

娘たちが神殿の隅の柱となるというのは、女の人たちが神殿を建てるという意味をあらわしているのであろう。
隅の柱というのは小さいという意味ではなくて、一番大切な柱という意味をあらわしている。
キリストは神殿の一番大切な柱である。(第一ペテロ2:)

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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