Subject:
76篇「水曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/03/23 10:48
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

由美ママからの質問:仮庵とは何か? えじきの山々とは何か?

 仮庵を調べるときの手がかりとなるのは同じ2節の住まいである。
 ここは完全に並行していることはわかる。仮庵と住まいはイコールである。
 仮庵と言ったときにモーセの天幕はあらわしていない。この天幕はエルサレムにない。

 この時代はシロに天幕はあった。だから目に見えない天幕のことを話しているということもわかる。
 モーセの天幕はさしてはいなけれども、反対にモーセの天幕はこのことをさしている。
 4節のえじきは七十人訳では永遠と訳されている。

 えじきということばはダニエル書やエゼキエル書にたくさん出てくる。
 例えばエゼキエル19:1ー6節を見るときにはえじきは引き裂くということばに訳されている。
 えじきの山々は栄光があって、威厳な山である。しかし、神様はそれより栄光があって、威厳がある。

 TSKで調べたり、他の箇所を見てもわからない場合は註解書を見る。
 訳に問題があるから下に七十人訳はこうですと書かれている。
 普通は山々は国々にたとえられる。

寝ている時は弱い状態をあらわす。眠っているというのは死をあらわす。
寝ているから殺したというのはシセラ。殺せるけれども殺さないはサウル。
神様に怒られて眠るというストーリーは?

あらしのときにキリストはそれを叱った、そうするとあらしはしずまった。
御怒りと眠ると恐れということばがいっしょに出てくる箇所は詩篇90篇である。
この眠るというのは死をあらわしている眠りである。

もし76篇の眠るが死をあらわしているなら、なぜ眠るということばに訳したのかを考えなければならない。
76篇の眠りは平安の眠りではない。恐れとの関係がある。
敵の前でも眠れるというのはまたちょっと違う。恐れがないということだから。

えじきの山々はこの世の中で一番恐れがあるものである。
神様がしゃべるとみんな黙ってしまう。神様に対する悪い恐れがあるからである。
今日の研究課題は「主に誓いを立て、それを果たす。」 誓いを恐れとの関係で見る。誓いを聖所との関係でも見なければならない。

国々は神様を恐れようとしないので、神様ご自身が強制的にさばいて、主を恐れるようにされてしまった。
私たちが主を恐れるのと国々が主を恐れるの違いは大きい。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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