Subject: 詩篇76篇 主を恐れる |
From: "Miwaza J. Kanno" <miwaza@miwaza.com> |
Date: 2005/03/23 12:00 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
みーちゃんです。 主を恐れるという事について研究しました。 ■ポイント: ・詩篇76篇には正しい者の恐れと悪者の恐れがでてくる ・悪者の恐れは、神様にさばかれたことによってでてくる ・罪人の恐れは悪者の恐れと似ている ・正者の恐れは、強制的にでてくるものではない ・主を恐れる事は、11節の主への誓いとつながっている ・主を恐れる事は知識のはじめである(箴言1章7節) ・悪者は主を恐れたときに、黙っている ・神様は”恐ろしい方”と呼ばれている ・詩篇76篇7節の”恐ろしい方”は”03372”である ■正しい者の主への恐れ: ー1歴代誌16章: ダビデが、主の契約の箱を天幕の中に運び込み、いけにえをささげたときに、彼 はアサフと歌うたいたちを用いて、主をほめたたえました。この賛美は、詩篇 76篇の内容にに似ています。歌うたいたちは、主を大いなる方、恐れられる方 として賛美しています。また、彼らは賛美の29節で、国々に主にひれ伏し、主 の御前で主を喜び歌うように、宣言しています。 ー出エジプト記1章17、21節: イスラエル人の助産婦たちは、イスラエルがエジプトの支配下にあるときに、王 パロによって、もし生まれた子供が男の子ならば、その子を殺し、女の子ならば 生かすよにと命令されました。しかし、助産婦たちは主を恐れる者たちだったの で、パロの命令に逆い、生まれる子が男の子でも、その子を生かしておきまし た。このように、主を恐れてこの世の王を恐れる事をしなかったので、この助産 婦たちは祝福されました。 ■罪人の主への恐れ: ー創世記3章10節 聖書にでてくる”主に恐れ”は、創世記3章10節が最初のところです。ここの、 主への恐れは、悪い罪人の恐れであって、正しい恐れではありません。アダムと エバは、神様に食べる事を禁じられていた、善悪の知識の木を食べたために、神 様が園に来たときに、神様を”恐がり”、隠れました。彼らの、神様への恐れと は”恐がり”でした。この、恐れは詩篇76篇にでてくる、悪者の神様への恐れと よく似ています。 #サラが自分に子供が生まれるという事を聞いた時に笑い、その後での恐れは、 これに似ている(創世記18章15節)。 -------------------------------------- :: Miwaza Kanno :: miwaza@miwaza.com http://miwaza.com God be with you :) --------------------------------------