+ちゃんくんです。
誓いを立てると言うことを76篇の中で並行法を通して見るときに贈り物をささげるということと並行していることがわかる。
新約聖書でこの誓いをさがすと、祈るということばが出てくる。
山上の説教(マタイ5章)に出てくる誓ってはならないということばとは違う。
私たちはこのようにことばの意味を調べるときには聖書辞典を見たりはしない。
もし英語がもっとうまく読めるならば、それを見たほうが便利である。
次は自分たちで思い出した箇所や、通読の箇所を通して見る。
例えば通読の箇所と言えば、今日のナホム1:15、3:18節。
神様は聖であられるので、神様は人々の罪をきらって、裁きを行われる。
人間は神様のさばきを恐れている。だから神様からのさばきからのがれようとする。
詩篇50篇に感謝のいけにえと誓いを立てるというテーマがいっしょに出てくる。
果たさないなら誓わないほうがよいというのは新約聖書ではなく、旧約聖書にも書かれている。
ナジル人は誓いの人である。一時的な祭司で、区別されている聖なるものである。
誓いは戦いとの関係がある。何かくださいという願いではない。
恐るべきさばきの力を持っている神様に対して、地の力あるものたちは無力である。
誓いと言ったときの一番大切なことは感謝のいけにえである。
ヨナ2:9のヨナが魚の腹の中から神様に祈っているところでも感謝のいけにえと誓いがいっしょにでてくる。
このヨナの箇所はクロスリファレンスかStorong番号を見ると出てくる。
ヨナ2:9のクロスリファレンスを見るとさっき出てきた詩篇50篇が出てくる。
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