Subject:
詩篇77篇 他の詩篇との関係(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/03/29 11:00
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

昨日の気が付いたことに書いた通り、この詩篇は詩篇42篇に似ている。それだけ
ではなくこの詩篇の周りの詩篇と詩篇42篇の周りの詩篇も似ているので、その関
係を考えました。

●77篇と42篇

両方の詩篇で詩人は主に祈り、主を待ち望み、主に助けを求めているが、その答
えは来ていない。それで77篇で詩人は衰え果て (77:2-3)、42篇で彼は渇いた鹿
のようになっている (42:1-3)。

神に答えてもらえない中で彼は昔のことを思い起こした。77篇では特に主のみわ
ざを思い出し (77:11-12)、42篇では宮に礼拝をしに行ったことを覚えている
(42:4)。

また詩人は77篇の詩人は主が恵み、契約を忘れて怒っているのかということを自
分の心の中で考えている (77:7-9)。42篇では特に敵の攻撃を受けて詩人は神が
忘れてしまったのかもしれないということを考えている (42:9)。それでも彼は
主の恵みを確信し、昼も夜も賛美している (42:8)。一日中賛美しているという
のは詩篇77:2で一日中祈っても聞かれないというのと逆である。

42篇で詩人は敵に攻撃された攻撃を波が自分の上を越えていくという表現で表し
ている。出エジプト記で民が海を渡った時にこのような状態であったし、エジプ
ト軍は大波のようであった。しかし、主は彼らを守られたこのことは77:11-20に
書かれている。

両方の詩篇で最初は主が答えてくださっていないということに嘆いていたが、最
後には祈りが聞かれ、救いが与えられるということを確信するのである (77:1,
42:5, 11)。

●77篇の周りの詩篇と42篇の周りの詩篇

77篇と42篇には似ているテーマがあるが、それぞれの周りの詩篇を見るとそれら
も関係があることが分かる。

まず42篇と一緒の詩篇であると言われるぐらい関係があり、一緒の言い方もでて
くる43篇は76篇と似ている。これらの詩篇には神の義なるさばき、神を礼拝する
というテーマがある。

44篇には77篇周辺の詩篇にでてくるほとんどのテーマがたくさん含まれている。
77篇と44篇の関係を考えるなら77篇の周りの詩篇との関係も分かるかもしれない。

まだ途中です。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God bless you!
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