+ちゃんくんです。
77篇と78篇のつながりを見、対比をしました。
さっきの聖書研究のノートにも書いてあったように、
77篇と78篇、この二つの詩篇の最後は同じである。
77篇のほうはモーセとアロンであって、78篇のほうはダビデである。
78篇の最初のほうは昔、神様がなされたみわざを語りになさいと言っている。
特にはここではそのみわざについての内容は言われてはいない。
77篇では詩人は神様のみわざを思い起こそうと言っている。
しかし、78篇ではそのみわざを忘れてしまったと言っている。
77篇の内容の中でも78篇の中でも出エジプトのストーリーが書かれている。
78篇のほうにはもっとおまけがついていて、岩からの水についても話されている。
また、神様は昼は雲によって導き、夜は光によって導いたということも書かれている。
77篇と78篇の違うところは78篇のほうでは罪について書かれている。
77のほうでは特には私は罪を犯したからこうなっているとは言われていない。
78篇は出エジプトのストーリーだけではなく、
エジプトの中での奇跡についても書かれている。
第三巻に入ってから初めて77篇で聖所ということばがつかわれていない。
しかし、そのかわりには78篇で何回も聖所についてのことばがつかわれている。
■コメント:
似ているところもたくさんあるが、それにしても違うところもいつくつかある。
78篇の内容を見るときに、ちゃんくんは105篇と106篇がまざっている詩篇のように見えた。
105篇はイスラエルのエジプトでのよい行いについて書かれていて、
106篇ではイスラエルの神様に対する悪い行いことについて書かれている。
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+審也@カンノファミリー
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