+ちゃんくんです。
イスラエルが荒野を四十年間歩いていたというけれども、ただ歩いていただけではない。戦いもした。
バシャンの王オグたちとはヨルダン川を渡る前に戦った。
78篇はカナンの話よりも、荒野の話のほうが多く書かれている。
荒野の罪と、カナンの罪という考え方にだまされてはいけない。
出エジプトのストーリーがあったときには、もう神様の住まいはシロにあったのか。(京子ママの質問)
シロの住まいという言い方と、67節に出てくるヨセフの天幕は並行している。
この詩篇が書かれたのはダビデの時代の後だろう。
なぜなら、78篇の最後で神様のしもべダビデを選んだと書かれているからだ。
1-8節はみわざを忘れないようにしなさいで、9-72節までがみわざの歴史であるという構造でよいのか。
1-8節の中はわかっているようだが、どうなっているのか。
この段落の中では5節が一番大切である。もしかしたらこの中はキアスマスになっているのではないか。
けれども、1-8節はたぶんキアスマスにはならないだろう。
私たちはただ語られたことを聞くだけではなく、自分たちの子供に語り告げなければならない。
神様は5節で子供たちに語るようにと命じておられる。
申命記の中でも1-8節のことが何回も言われている。
だから、京子ママは聖書研究の時にこの詩篇はモーセ的であると言った。
申命記32章の始まり方は詩篇78:1節の言い方に似ている。
1-8節の構造を見ると9節からのガイドラインになっているのではないかと考えることはできる。
内容としては5-8節が最初にきて、1-4節に来るはずである。
8節の始まりはまたではなくて、ヘブル語の対訳を見るとそしてになっている。こっちのほうが意味はわかりやすい。
神様はイスラエルが正しかったから、民にカナンの地を与えられたのではない。
ただ、彼らの敵が悪く、また、アブラハム、イサク、ヤコブへの誓いを果たすためである。
(申命記9:4-5節)今週の月曜日の通読
羊たちは牧者の声を聞いて、集まってくる。むちで打つと逃げていってしまう。
しかし、偽牧者の声には羊は聞き従わない。(ヨハネ10:1-)
前回考えたことにだまされてはならない。もっともらしいけれどもね。
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+審也@カンノファミリー
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