Subject: 詩篇79篇と詩篇73-78篇のつながり |
From: "hikaru4saito" <hikaru@4saito.com> |
Date: 2005/04/13 18:32 |
To: saiwainet@yahoogroups.jp |
こんばんは。斎藤光です。 詩篇79篇と詩篇73-78篇のつながりを見ました。 ●79篇と73篇 詩篇73篇は敵が栄えているように見えると言っている詩篇である。 ここは79篇のように敵に攻撃されているというような話ではない。 しかし、敵は栄えていて、アサフはすべるばかりだったと言っている。 この二つの詩篇はあまり似ている所はない。 ●79篇と74篇 ここは73篇の時とちがってすごく似ている。 神様が神様の民である羊に対して、御怒りを燃やしておられる。 それで、敵が聖所に害を加えている。 敵は神様の御名を侮り、そしっている。 神様の御名が侮られているということは74篇のなかで何回も 強調されている。これらのテーマは74篇と79篇で共通しているテーマである。 違うところは79篇でははっきりと復讐を求めていると言うことである。 74篇では敵の声を忘れないでくださいとは言っているが、 特に復讐を求めている訳ではない。 ●79篇と75篇 ここは悲しい詩篇ではなく、感謝の詩篇であると言える。 75篇でも御名の話が出てくる。御名というテーマは74,75,76,79篇 に出てくるテーマである。 79篇では神様の御名がそしられ、侮られていて 敵の角が高く上がっている。 それで75篇では悪者の角は切り捨てられ、正しい者の角は 高く上げられると言うことが書かれている。 ●79篇と76篇 ここでも神様の御名はイスラエルにおいて大きいと言う話が出てくる。 神様はまず、戦いを打ち砕く。 神様は恐ろしい方であると言うことが76篇の後半では強調されているが、 憤りの話も出てくる。それに対して、79篇では神様の憤りは民に注がれているが、 詩人は敵に憤りを注いでくださいと祈るのである。 ●79篇と77篇 詩人は神様がもう忘れて、覚えておられないのかと言うことを訴えている。 詩人は神様の昔からの奇しいわざを思い起こし、嘆いている。 そのなかで、神様が御腕をもってイスラエルを羊の群れのように 導かれたことを思い出している。 詩篇79篇では、神様が忘れていると言うことよりも、神様が 憤っていると言うことが問題である。 ●79篇と78篇 神様はイスラエルをエジプトから出してくださった。 これは詩篇80篇のテーマにも似ている。 しかし、ここでは神様がエジプトから出したイスラエルを忘れてしまう と言うことではなく、イスラエルが神様を忘れてしまうと言うことが テーマになっている。イスラエルは偶像礼拝で神様のねたみを引き起こした。 79篇でも神様がねたんでいると言う話が書いてある。 79篇での神様のねたみはイスラエルの偶像礼拝に対するものであるとも 考えられる。