Subject:
詩篇79篇と74篇の関係(ケイヤ)
From:
"keiya@kanno.com" <keiya@kanno.com>
Date:
2005/04/14 10:13
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

こんにちは、+KeiyaKannoです。

この詩篇について学ぶためには第3巻の中での位置づけを考えなければならな
い。その中でも特に74篇には似ているテーマがあるので、似ている箇所、違う箇
所を見、周りの詩篇との位置付けも見て、関係を考えました。

●詩篇74篇の概略

詩人は今は荒らされてしまっている羊たちの牧場、主の宮、聖所を敵の手から
救ってくださいと願っている。彼はこれが主の怒りによることを知っている。し
かし、このさばきがいつ終わるのかが分からないために平安がない。敵は聖所を
壊すだけでなく、御名をそしってもいる。それで詩人は救ってくださることを求
めているのである。

●似ている箇所

まず詩篇74篇で詩人は神の民のことを牧場の羊と表現している。これは13節に直
接でてくる。詩篇74篇では最初に出てきたが、79篇には最後にでてくるのであ
る。また74篇では民のことを山鳩というようにも表現している。両方ともとても
弱いものであるが、神は彼らを守ってくださるのである。

両方の詩篇で詩人は敵に攻撃され、聖所が荒らされているのは主の怒り、憤りの
ためであると知っている。それで「いつまで」と言って祈るである。

74篇で詩人は主がご自分の住まいであるシオンに対して攻撃しているので思い出
してくださいと願っている。また契約を思い出してください、祈りを覚えてくだ
さいとも祈っている。しかし、79篇では先祖たちの罪を思い出さないでください
と願っている。もし主が罪を思い出すなら怒られるが、主が民を覚えるなら怒る
のを遅くされるからである。

74篇でも79篇でも敵はエルサレム、聖所に対して攻撃している。74篇では特に言
及されていないが、79篇では場所に対してだけでなく、聖徒たちにも攻撃している。

敵が主の御名に対して攻撃しているというのは74篇でも79篇でも言われている。
敵は御名の住まいに攻撃し、御名を侮り、侮辱している。それで御名による救い
を求めるのである。

両方の詩篇で悪者は野の獣というように表現されているが、74篇では特にレビヤ
タンというように表現されているのは興味深い。

まだ途中です。

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+KeiyaKanno
mailto:keiya@kanno.com
May God bless you!
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