Subject:
詩篇80篇 たとえ
From:
"Miwaza J. Kanno" <miwaza@miwaza.com>
Date:
2005/04/19 10:24
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇80篇にでてくるたとえについて分析してみました。

■羊飼いと羊:

羊飼いが神様で、私たち民が羊であるというたとえは、聖書のなかでよく出てき
ます。この、たとえは詩篇80篇では、「ぶどうの木」のたとえと対比されてい
るように思われます。そして、このたとえは、3巻の中で、74篇、77篇、
78篇、79篇にもでてきました。これらの個所で、神様は牧場の羊である私た
ちを導いてくださると書かれています。

-「神様は羊飼いである」と書かれている、もしくは、それを指している、最初
の個所:

>創世記48章15節:

最初にこの言い方が使われているのは、ヤコブがヨセフを祝福したときに言った
言葉です。ヤコブは、”私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。
きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。”がヨセフとその子供た
ちを祝福してくださるようにと言っています。ここが、最初だと思われます。そ
の他に、聖書の中では、キリストのひながたである、クロス王も”わたしの牧者”
と呼ばれています(イザヤ44、45章)。

■農夫とブドウの木:

このたとえは、ヨハネ福音書15章にもでてくる、聖書のなかでとても大切な言
い方の一つです。そこに書かれているように、御子キリストはブドウの木であ
り、御父は農夫で、私たちは、ブドウの木の枝です。そして、詩篇80篇の中で
このブドウの木と農夫の関係について、大切なのは、農夫ではない人がぶどうの
木を耕してしまっていると言う事です。これが、詩篇80篇の問題です。そし
て、羊飼いについての問題は、神様は羊飼いであるのに、羊を導いてくれていな
いということで、対比されています。

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