+ちゃんくんです。
今日の通読の箇所であったゼカリヤ書1章は78篇や80篇に似ている。
また、ゼカリヤ書11章はずっと羊、また牧者について話している。
そして、ゼカリヤ9:16節と10:2-4節にも羊の話が出てくる。
ゼカリヤ3:10節にぶどうの木といちじくの木が出てくる。
4:3節にオリーブの木が出てくる。そして、8:12節ではぶどうの木が実を結んでいる。
13:7節には牧者を殺せという言い方がある。
ゼカリヤがいる時代はどれくらいなのか。ミルトスはエステルを表すとか言われる。
だから、もう捕囚から戻ってきたのに、こんなになっているということだろう。
このように詩篇80篇とゼカリヤが似ているということをみてきて、どこにいきつくべきなのか。
一つは私たちの救いは何なのか。
イスラエルの救いは、神様と民の関係がもう一度一つにされるということである。
民が神様の声を聞き、神様が民の声を聞くというようなことにおいてこの関係は再建される。
もし、牧者が羊を牧場に導いてきても、羊がばらばらで、お互いにけんかをしているのならば、それは救いにならない。
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+審也@カンノファミリー
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