Subject:
詩篇81篇「火曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/04/26 11:36
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

9節は十戒の一戒の言い方である。そして、10節の前半は十戒の始まりである。
8節の聞け。わが民よは申命記6章ではなく、5:1節にある。これは十戒の導入である。
そして、16節は申命記32章のモーセの歌に出てくる。

十戒の二戒というのはアロンのやったことである。
金の子牛を通して本物の神様を礼拝した。
9節の外国の神を拝んではならないというのは他の神があってはならないと同じことである。

5節の知らなかったことばというのは、このように神様のおきてを聞いたのは初めてだという意味だろう。
自分の知らなかった国語を聞いたと考えてしまうこともあるけれども、そういう意味ではない。
斉藤光くんは契約の五つのポイントを通して構造を考えたようです。

悪者がいなくなっても、正しい者が満ち足りてなければ、それは解決にはならない。
正しい者は満ち足りているのに、悪者がいなくなっていないというのと同じである。
メリバの水は岩から出てきた。16節のほうは岩からの蜜である。(めぐの発言)

16節と10節にはご飯を食べさせるというテーマもある。
新月の祭りというのはいつのことかわかるけれども、満月の祭りとはいつのことなのか。
註解書を見て調べたら、満月は仮庵の祭りのことだと言っている。

だからと言って、十戒が与えられたのは新月の祭りのときだったというわけではない。
7節では民は文句を言ったというほうよりも、神様は水を出したというほうが強調されて言われている。
十戒が神様によって与えられたときには、山の上で雷や地震があった。

5-7節の内容を記念して、1-4節の神様の命じられた祭りを行う。
8-10節はこの詩篇を書いたじてんで言ったようにも聞こえるが、そうではない。
これはエジプトから連れ出されたときに言ったことばの引用である。

それなのに、イスラエルは聞かなかったというのが、11-14節である。
イスラエルは聞き従ったのなら、もっと早く敵をせいふくできたはずである。
聞き従わなかったので、40十年もかかってしまった。

たぶん15-16節は構造を考えるときには別になるだろう。
15節の刑罰というのに米じるしがついていて、原文にはない。
16節にもイスラエルということばはない。

11節から14節ではなく、11-12節と13-16節というわけかたも考えられる。
出エジプトの十戒のほうでは、聞けということばはないが、ラッパが吹き鳴らされている。
出エジプトの十戒が与えられたのは三月のペンテコステの祭りのときである。

これは出エジプト記19:1節に書かれている。
メリバのストーリーは二回あるが、7節はその中の最初のほうのメリバである。
5-7節は一月の過越の祭りのときで、8-10節は三月のペンテコステのときである。

今回の詩篇には羊ということばは直接は出てこない。また、聖所、神殿ということばもない。
11-16節の聞かずの歴史は荒野の四十年間のことである。
この記念の祭りにはイスラエルは聞かなかったということもはいっている。

神様はただ、律法を守れ、律法を守れと言っているのではない。
出エジプトのストーリーを覚えているのならば、神様の律法を喜んで行う。
いっしょうけいめいやることはわかるくないが、それを何のためにやっているのかわからない人はいる。

それはキリストのところに来た青年である。
記念を覚えているのならば、イスラエルは神様に水がない、水がないと文句は言わない。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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