+ちゃんくんです。
81篇を研究したからと言って、この詩篇から何が言えるのか?
律法を聞くということは、神様が与えてくださった命令を守るということである。
親の言ったことを守ることは、親の言ったことを聞くということであるというのと同じである。
エジプトの奴隷の家から連れ出した神様であるということを覚えているので、命令を守りなさい。
この命令を守ると社会、生活がうまくいくというのが、第一ではない。
命令を守るときに、神様についてもっとよく知ることができる。
律法じたいが、出エジプトの神様の愛をあらわしている。
命令も、祭りも同じように、記念して行っている。
兄弟愛を持つことは、神様がまず私たちを愛してくださったからである。
その愛に応答して、兄弟愛を持つ。
私たちは、特別に神様の似姿として創造された。だから、私たちは神様のようにならなければならない。
サタンが言っていることはある意味であっている。
しかし、サタンはこのことをまがった言い方で言っているのでまちがっている。
もし、イスラエルが神様の与えてくださった命令を守るならば、神様は民を宝の民としてくださる。(出エジプト記19:4-6節)
祭りのすべてには、神様のなさった奇しい歴史的事件がふくまれている。
+ちゃんくんたちの記念は誕生日の時しかない。
しかし、大人になれば、洗礼を受けたとき、誕生日、結婚したときという記念がある。
81篇で聞くということばはすごく強調されている。(ローマ人への手紙10:17節)
モーセ五書全体はトーラーと呼ばれる。この五つの書物の初めからずっと歴史を話している。
神様の律法は歴史を通して与えられたものである。
外国の神を拝むことは、エジプトから連れ出した神様を否定することである。
祭司の民として、神様の命令を守るときに、外国人に神様の愛をあらわす。
祭りでは、貧しい者たちを連れて行って、その人たちといっしょに食べろということが強調されている。
安息日には羊や、牛も、すべての動物までも休ませなければならない。
このようにしているときに、周りの国々の人たちからあの人たちはよく休むねと言われる。
今日やったことは詩篇81篇からだけでは言えない。
だから、聖書の神学をすべて知っておいて、このことを学ばなければならない。
神様は何かを私たちに命令したときには、私たちはこれは何の記念なのかと考えることはできる。
今日は出エジプトの十戒と申命記の十戒が与えられる前のところを見て、81篇のつながりを調べる。
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+審也@カンノファミリー
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