Subject:
81篇「金曜日の聖書研究」
From:
"+ShinyaKanno" <shinya@kanno.com>
Date:
2005/04/29 10:26
To:
"Saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

81篇には聞く、聞かないということばがたくさん出て来た。
新月はラッパの祭りで、満月は仮庵の祭りではないかということである。
8-10節は十戒の短い言い方が書かれている。

9節は前半も後半も十戒の第一戒を言っている。
8節の「聞け。わが民よ。」といったときには普通は申命記6章を思い出す。
しかし、この言い方は6章が最初ではない。十戒の導入である5:1節が最初である。

16節の岩からの蜜は申命記32:13節のモーセの歌のところに出てくる。
5-7節のことを記念して、1-4節でそれを歌っている。
神様の律法の中で一番強調されているのは聞くということである。

律法は聞くことからはじまる。聞かなければ守ることはできない。
神様の律法を守ることは神様の愛を行うことである。その愛を行うとは神様に似るものになるということである。
十戒をイスラエルに与えるのは、その目的は、イスラエルを宝の民とするためである。(出エジプト記19:4-6)

祭りは神様のみわざを記念して行うものである。
神様の律法と歴史とは区別して考えることはできない。
いつもは十戒のなかみを見ているので、今回はそのまわりの箇所を見た。

木曜日のときには、第三巻での81篇の位置づけを見た。(羊、羊飼いと聖所というテーマにおいて)
信仰は聞くことから始まる。聞くことはキリストのみことばによる。(ローマ10:17)
羊は羊飼いの声を聞き、羊飼いは羊の声を聞く。(ヨハネ10章)

バプテスマのヨハネは荒野で叫ぶ者の声である。
ヘブル人への手紙3章、4章・ヤコブの手紙1:22節・黙示録
黙示録にはたくさん声ということばが出てくる。(天の声はラッパのような音である)
モーセもバプテスマのヨハネも神様の声を聞くと死んでしまうと言う。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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