こうです。悟らないというのを新約聖書から見ました。
●マタイ13:13・14・19
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
・ここはキリストが種についてのたとえ話をした後に、弟子たちにそのとき明かしをしたところである。キリストは人々には天の奥義を聞くことを許されていなく、また彼らは聞いても、見ても、悟らないのでたとえ話を使うという。
●マルコ8:17・21
それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。
イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」
・キリストはパリサイ人とヘロデのパン種に気をつけるようにいう。すると弟子たちはパンのないことについて論争し始める。それでキリストは彼らを教える。
●ルカ8:10
そこでイエスは言われた。「あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。
・この箇所はマタイと同じでキリストが種についてのたとえ話をし、そのとき明かしをするところである。
●使徒28:26
『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
・ここはパウロがローマに来てそこの家に住んで、明かしをしているところである。パウロは多くの人に証をするが、信じない人もいたので彼らについてのイザヤの預言を彼らに対していう。」
以上です。
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Koh Aoki 青木 光
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