+ちゃんくんです。
今週の詩篇は短いから構造が考えやすいかと思ったが、いがいとむずかしかった。
82篇を読んだときに、5節の地の基はなんだろうという質問がである。
本来、正しいさばきが行われているのならば、地の基はゆらぐことはない。
教会は真理の柱、また土台である。教会は岩の上にたてられる。(第一テモテ3:15、マタイ16:18)
5節の意味以外にも6-7節の意味もよくわからない。
注解書の中ではこれは皮肉で言っているという人もいる。
しかし、この箇所は福音書の中でキリストにおいて引用されている。(ヨハネ10:34)
もし、ここが皮肉で言われているのならば、それはキリストの引用のところにつながらない。
82篇は長くないので、ぜんぜん手がかりとなるところがない。
6節で詩人は彼らは神々ではないとは言っていない。
さばきをする権利があるのに、貧しい、弱い者を正しくさばいていない。
神々は神様が正しくさばくということを知らない。
神様がさばくということを知っているのならば、自分たちは最後にさばかれるということをも知っている。
すべてを知っているということと、すべてをさばくということはばらばらにはできない。
この二つのテーマをばらばらにすることはできない。
全能ということばは創世記17:1が一番最初である。
本、小説の中には多くのみなしごのストーリーがあった。
本に書かれているみなしごはぜんぜん普通ではない。
みなしごを助けるという働きはすごくむずかしい。
ほとんどのみなしごはストリートチルドレンになってしまう。
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+審也@カンノファミリー
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